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いろんな人に勧めるが誰もいまいち乗ってこない瀬戸内海アート巡りの旅。
特に嫁からは激しく拒絶されている。 全く興味ねえんだと。 というわけで、今回も誂えたように岡山の客との打ち合わせを11時で終え、 ![]() 岡山市から一時間弱走った宇野港からフェリーでわずか20分。こんな美しい景色が待っている。 ![]() 前回時間切れで入れなかった地中美術館に向かった。 写真撮影は禁止だし、中での体験は言葉に出来ないぐらいに素晴らしいが、 まあ、ぼくが素晴らしいと言うんだから信じて行ってみろ(断言)。 ちなみにこの地中美術館や、隣の豊島美術館は、何かの企画展が入れ替わりで行われるという通常の美術館ではなく、常に同じ作品を展示する(というか内包する)美術館全体が大きなパーマネントインスタレーションである。 簡単に言うとそれ自体が「仕掛け」なんだ。 そしてこの直島は島全体がそんな仕掛けで溢れている。これからの季節はビールを飲みながら自転車で回るには最高のシーズンだろう。 ![]() ![]() ほんとうに最高の「仕掛け」は地中美術館から港へのチャリでのダウンヒル! その先に見える海とシマナミが究極の芸術だということです(*´Д`) 今朝は8時に加東市の客先に入り、10時には終わらせてハチ北に移動して午後券で滑ってから富山に移動する予定だった。
実際に修理が終わったのは昼の2時過ぎで、とてもハチ北にいける状況ではなく、ポンツーンを虚しく車載したまま富山に向かって走った。 舞鶴から北陸道に抜けるみちはいつもより海が荒れていて美しかった。 美浜原発の道路標識を見かけ、その先に大きな白波と美しい夕日の浜辺がとても綺麗だった。何気なくナビに目を落とすと美浜小学校という表示が目に入り、 なぜ未だにこの国はすべての原発を停止できないのか、虚しい気持ちになった。 あなたが生まれ育った街を思い浮かべて、そこにこの先50年誰も立ち入れない事態になったら、どんな気持ちがするだろう? 石川県の海沿いのサービスエリアで休憩し、大荒れの海岸線を見ていた。視界の両端が霞んでいて、その先に幻の国があってもおかしくない風景だった。ほんとうに美しい国だ。 ぼくはどうやっても実感できない。10メートルや20メートルの波ってどういうことなのか。 ひどく荒れた海を見ても、何ひとつ恐怖感が実感できない。 東北に生まれ育った僕だが、あの日ドイツで気仙沼が激しく燃え広がっている映像や、次々にはいる警報や余震、どこか他人事のように見ていた。何か映画やドラマみたいに。 表現が悪いが、本当に日本が沈没する可能性までふと考えた時、 まあそれでも僕は日本に帰るんだろうな、と思った。 今に至るまで、何ひとつ人の苦しみや悲しみを共感することはできない。 だけど夕日のあたる小さな入り江が、誰かのふるさとなら、そこは永遠に誰かのふるさとで在るべきだ。 まあ、JJでハズしたぼくが言えることは、人の評価なんかなんにもならないということ。
ふと思ったのだが、たとえ自分で試乗してすごくいい板でも、俺は絶対にBDとかフィッシャーとか、なんか保守的なの絶対に買わねえしなぁ。 ![]() K2 BACKDROP さほどモチが高くなかったここ数年にK2のCOOMBACKという板がニセコで流行っているらしく、これはその板のサイズを10ミリ太くしたものらしい。とてもそつがなくて乗っていて楽しい。のっぺりしたいい板。 今回二度目の試乗会でよくわかったことは、 K2は良い。 ということだ。ぼくがこんなに滑るのが楽しくなったのもK2だし、今回も前回も試乗したほとんどの板がなにがしか楽しい。 ![]() なんか、アトミックの板。 前回の試乗会でシュガーダディーが最高に良かったので期待して乗ったが、まあそれほどの感動はなかった。 ![]() 初NTN体験!! あの片足履いたあとにスキーソールでガッと踏むのやってみたかった! 予想通りバネが強すぎて、ぼくもびっくりの超後傾テレマーク! 後ろに空気椅子があるような滑りになる。 面白いかどうかというと面白く無い。個人的にNTNは無いと思います。 久々に履いたクリスピの靴はやはり自分には合わない。 ![]() そしてPON2OON!!! アルマダと迷って買わなかったポンツーンに試乗して、死ぬほど後悔した白馬の夜。。。 すげえ楽しい。なんちゅうのかな、圧雪を滑っても板にひとつの思想がある(超てきとう)。 何より結構な急斜面のピステもごく普通に滑れる。ゲレンデには非現実な板かと思ったら拍子抜けした。 すげえ楽しい。完全にK2信者となってしまった。 ![]() BDの板とO1とブーツを体験。 ぼくにとってBDのテレマークはどれもありえない。ブーツ、あわない。板、かっこよくない。O1、あんなバネ硬いのテレマークじゃねえ。前回の試乗会で感じたことを再確認しただけだった。ここの代理店の人らの内輪全開の雰囲気も最悪だった。 ![]() MOVEMENT その1 なんとなく知らないメーカーの板を眺めていたら、スタッフの怪しいおじさんに声をかけられ、適当にかわしていたら、もう一度声をかけられ、よく見たらニセコ仲間のWさんだった。 さっきの話は前フリじゃないが、ここの代理店は最高ですよ(*´∀`) 仲間が販売してる板でも評価は公正に。良い板と思うが、後ろが引っかかるのが気になった。 ![]() MOVEMENT その2 バリバリロッカー板。Wさんも、この板はいやあ、、、という感じだったが、なんか一番JJ的にぼくには乗れない板だった。 ![]() フィッシャー WATEA 懐かしい別の友人に遭遇して話し込んでいるうちに流れで借りた。 この日試乗した板の中では一番客観的にいいと思う。だけどそそらない。 まあ、趣味なんてそんなもんだよな。 ![]() G3 太板 BDと同じ理由でG3の板はけして買わないだろう。それはともかく、乗ってもいまいち感じるものがない板だった。 ただし、 G3の新しいENZOバインディングは素晴らしかった。とてもなめらかにカカトが上がる、ぼくごのみの素晴らしい金具だ。BDがぶち壊そうとしているものをG3は優雅に進化させている! まとめ。 PON2OON買いました。 T2ECOは充分今履いているT1の代わりになります。 単純にスキーメーカーとしてはアトミックやフィッシャーは素晴らしいと思う。だけどK2にはそれを超えた不思議な技術力を感じる。 土曜日東京で同窓会、月曜日から千葉で仕事なので、会社の金で同窓会にいけるとほくそえんでいたが、
どうしても新しいARMADAで滑りたい一心で日曜日の始発で兵庫に帰ってきてしまいました。明日の始発で東京に戻ります。。。orz ![]() で、乗ってきましたarmada JJ、、、(-_-;) いま、 かなり、 落ち込んでいます。 大枚はたいたのに全然乗れねえ(*´Д`) うまく滑れないんです。 圧雪では予想以上にペラペラでバタバタで話しになりません。エッジが効かない。 コケまくって悲惨な目に会いました。 少しだけ残っていた踏まれてないパウダーに入ると、 ここがJJの真骨頂なんでしょうが、 速すぎて制御不能(#゚Д゚) こわくてツリーラン入れません、、、 パウダー以外でもそこそこイケるという評価を信じて買っただけに、この現実がなかなか受け入れられません。今まで乗った板で圧雪では一番難しい。ビンディングの位置が悪いんだろうか? 純粋に技術の問題だろうか?
先週木曜日は大雪でスキー場クローズという泣きを見たが、
今日は近年まれに見る大当たりだった\(^o^)/ 一番リフトから、TEN裏の斜面が完全リセットを確認したときは叫び声が漏れた。 が、ファーストトラックは完全にスピードが死んでしまい、 こんなことなら早めにポンツーンなりJJなりを買っとくべきだったと嘆いたが、 気を取りなおして次の一本は上部の斜面からダイレクトに突っ込んだらリップで飛んでしまい、 結構な飛距離でいい感じにパウダーに着地ε-(´∀`*) そこからの激パウ急斜面。。。 一日ほぼこれの繰り返し、たまに極上フェイスショットツリーラン。 脳内麻薬出まくりでリフトでフラッシュバックゾンビ状態。 嫁に頼まれたお使いの3つのうち2つ忘れて帰るほど、天国に一番近い日でした。 ギリシャツアー。
![]() コス島のレストランにて。魚のフライが美味かった! ![]() カリムノスで宿泊したマリアステュディオのテラス。これを求めてギリシャに来たようなもんだ。ギリシャは料理もビールもうまかった。ミトス、アムステルどれもうまい。イタリアやフランスのビールとは大違い。 ![]() elepfant何とかをトライする嫁。トップロープで一撃。ぼくは立体クライミングにどうしても慣れられず、2、3テン入った。プラナンに二回行っている嫁にはかなわない。 ![]() 夜のアテネはほんとうに美しい街だった。遠くに見えるのがパルテノン。 ![]() 土産物屋でブズーキを購入したら、レストランでプロのおっさんとセッションになった。ブズーキのおじさんの存在感は際立っていたな。買ったブズーキも本当にいい音がする。 ![]() アテネでビール。観光客にフレンドリーな、素晴らしい国だった。ドイツやフランスより断然英語が通じて、楽に旅ができる。 何よりカリムノス島はクライマーの天国でした。 はじめに上司に「大阪に転勤してくれ」といわれて、率直に嫌だった。
山形生まれ東京育ち(?)のぼくには関西、大阪なんて全く良いイメージがなかった。 東京に住みたくて東京の大学を受験したぼくにとって、東京を離れる事自体寂しかった。 勤務地は神戸といわれて少しほっとし、当時のぼくには多額の転勤手当と昇級に背中を押されて関西にやってきた。住居を決めるときに「北山公園の近く」にこだわった。 最初は(いまでも)カルチャーショックの連続だった。 まず最初に非常に驚いたのが、車の窓から火のついたタバコを捨てる人が多いことだった! 関東でも車に乗っていて、それで通勤したり、岩場にいってたが、車の窓から火のついたタバコを捨てる人間など見たことがなかった。関西では毎日とはいわないが、最低でもひと月に一度はそんな車を見かける。最初見たときは非常に驚いたが、いまでもこれだけは本当にがっかりしてしまう。 次に驚いたのは、バスの運転が荒いことだ。関東でもバスの運転手に多少の当たり外れはあっても、バスがクラクションを鳴らし続けたり、平然と信号を無視したり、タテマエ上一車線の道路を並走してきたりということは、東京では珍しいことだと思う。だが、我らが阪急バスは平然とこれらの行為を行っているし、深夜の回送バスとなるとえげつない運転をしてることがある。 「おはよう朝日です」を初めて見たとき、もっと言えば古くさいウサギの着ぐるみの横でエレクトーンを弾くお姉さんを見たとき、これは20年前の録画の再放送だろうか? と思った。 レストランや食堂で出される白飯のクオリティが非常に低いことがある。いまは慣れたが、最初はほんとに悲しかった。関西の料理自体は安くておいしい。だけど、白いご飯がときどき店によっては「こんなの客に出していいの?」と言うことがたびたびあり、だけど周りの人は平然と食べている。米自体が悪いというのではなく、多少べたべたでもこっちではあまり問題にならないらしいことがわかってきた。 まあしかし、そんな些細なことを凌駕するほど関西は快適だけどね。 学生の頃、古代律令制の地図を見て、なんで山形は秋田とニコイチで出羽国で、お隣は福島宮城岩手青森ヨンコイチで陸奥国なのかと素朴に疑問に思ったが、 4年前に初めて出雲大社を見たときに素直に納得できた。 「あ、日本の本流はこっちだったんだな。東北は所詮メインストリームに占領された側なんだな」 旅ギター的にスタインバーガーを買いました。
さっそく出張のお供です。 ![]() 昔はバカ高いギターというイメージでしたが、ライセンス生産のやつで3万円ちょいで買えました。 実物を見ないで買ったんですが、届いたらあまりの可愛さに完全にやられました。 嫁に『新しいの買うんなら前のを捨てや!』と言われてましたが、 これなら15年前にピザの宅配中に大井町で拾ったレスポール(もどき)を手放すことができそうです。 ありがとうレスポール(もどき) こんにちはスタインバーガー
鳥取で仕事をしています。
![]() 湖山池の30分弱で歩いて一周できる島を散策し、 ![]() すぐ近くの鳥取県民体育館で無料の人工壁で遊んで帰りました。 こんなかんじで、、
![]() こんなかんじ。 ![]() 銀河高原ビールは最高のヴァイツェンです! 祝 カサブランカRP\(^o^)/ ティックマーク反対 LOVE&PEACE! 朝、ホステルを出たぼくは名前は忘れたがダブリンのどこかの駅につき、まず時刻表というものがないことに驚いた。本当はあったのかもしれないが、日本的なわかりやすい時刻表というものは見つけられなかった。
そこで、駅員らしき人に、次のキラーニー行きの汽車の時刻を聞いてびっくりした。 20時8分だって?? 今は朝の7時半だぞ! 夜の8時まで汽車がないなんて、、、 ぼくはこの数日で外国旅行の現実を学び始めていたので、まあこんなもんだろうと潔くなり過ぎていて、半ばあきらめてベンチに座り込んだ。ダブリンをさらに観光して時間をつぶす気にもなれず、1、2時間座り込んでいてやはり何かこれはおかしいと思い始めた。そしてもう一度他の駅員に同じ質問を繰り返したときに、すごく馬鹿馬鹿しい間違いに気づいた。 最初の駅員は twenty past eight (直訳すれば8時20分すぎ) とぼくに答えた。 だけどぼくは、そんな言い回しを知らないものだから、20時8分と思い込んだ。 言葉は悪いが、本当に日本の学校の英語教育なんてクソだと痛感した。 その後わかったが、アイルランドで出会う殆どの人が、 ten to eight (7時50分) とか、 quarter past ten (10時15分) という具合に時間を表現した。 half past eight なんて英語の時間に習った覚えがない。いや、ホントは習ったのにぼくが忘れているだけだろうか、、 自信がなくなってきた。 まあ、気を取りなおして汽車に乗り、窓の外の静かな国を眺めながらぼんやりしていた。数時間の長い汽車の旅だったと思う。 で、とある駅についたときに、何かのアナウンスがあり、いっせいに乗客が降り始めた。 旅をしていてこんな時が一番不安になる。汽車のアナウンスなんてほとんどぼくには聞き取れない。ぼくの想定していた乗換駅とは違うし、ぼくは降りたらいいのか、とどまればいいのか、軽くパニックになりそうだった。 すると、車掌らしきおじいさんがやってきて、 you should take boss, take boss. と繰り返した。ボスってなんだ? ぼくはさらに混乱した。その表情を見た車掌は「ボス!」といいながら、車のハンドルをきる手振りをしてくれた。 ああ、バスか。 駅を出たとこにバスが待っていて、行き先はキラーニーになっていた。ひと安心してぼくはバスのシートに座り込んだ。 たどり着いたキラーニーは、少し浮かれた感じの街だった。 ぼくは移動遊園地ではしゃぐこどもたちの声をうつろに聞きながら公園をよこぎり、初めてマクドナルドで食事して、ドミトリでぐっすりと眠った。 今日もまたいい感じにドイツビールで酔っ払っている。
昨日まではベネチアにいた。 ベネチアは本当に素晴らしい場所だった。ビエンナーレを充分に堪能する時間がなかったのが残念だ。 だけどパスタやピザが好きな僕には本当に素晴らしい週末だった。 リアルト橋を目にしたときは興奮が最骨頂に達した。 なんてすごい街なんだろう! もし、本当のイタリア料理と本当のドイツビールを提供する店があったらそれは天国に違いない。 それは嫌な目にも合う。店員や駅員に日本人的には不合理な態度をしょっちゅう取られる。被害妄想かもしれないが、アジア人を見下すような態度や視線も感じることがある。タクシーに乗ると高い確率でぼられる。だけど、それはそれでいい。 素晴らしい、ヴァイツェンビールを飲んでいると、なぜ、僕も含めて人間は他所の国の人間を尊重できないのか、不思議な気持ちになる。 外国での嫌な体験は忘れて、素晴らしい思いだけを増幅すればいい。たまには嫌な連中にも合うが、それは本当に一部のことで、聞き流せる程度のことなんだ。 僕は学生時代にピザが大好きなので宅配ピザ屋のバイトを3軒渡り歩いた。 草津のバックカントリーでのハイクアップ後に、缶ビールを飲んで死ぬほど美味しいと感じた瞬間が忘れられない。 それなりに金はないが、チャンスに恵まれてドイツやイタリアに来ることができた。本当にこの人生を愛している。 一番いいたいのは、ビールを飲んでうまいメシを食うだけでこれだけの幸せにひたれるこの人生。 日本に帰れば素晴らしい愛する嫁がいて、 「もう帰ってきたん、いないとのびのびすんねん。また長期出張行けや。」 と言ってくれる日常。 ![]() はじめてバリカンで刈ってもらった。途中で嫁が笑い始めた。「モミアゲって、普通、どうなってるんだっけ!」 きれいに左右非対称にモミアゲを落とされ、 その後嫁に「ヘルメット君」と呼ばれ、笑われ続けた。 この話はいつかどこかに書き留めておこうと思っていたし、実はどこかに一度書いたような気もするのだが、以前のブログまでさかのぼってみてもそんな記事はなかった。
ぼくは元来霊感やら心霊現象といったものを信じていない(というか怖くて信じたくない)。 だけどこれまでの人生で2回ほど、どうしても説明のつかない出来事があった。その一つが、今から書き留める、ねこの話です。 もう、4年か5年前のこと。ぼくは以前の仕事で毎日営業車で和歌山を回っていた。ライトバンに建築用の工具や資材をたくさん積み、顧客や現場を訪問する日々だった。 その日、ぼくは南紀は田辺市周辺を回っていた。とても真面目な営業員だったぼくは、しばしば道の傍らに車を停めて、より良い活動のための昼寝を行っていた。その日の昼寝場所は奇絶峡というちょっとした景勝地の広い路肩だった。 (ちなみに、この奇絶峡は岩山なんだけど、あまりにも寝過ぎたスラブという感じで、クライマーをときめかせるものではない。) うつらうつら、目を覚ましたぼくはすぐ近いところで猫が鳴くのを聞いた。子猫のようだ。あまり近くで聞こえたので、車から降りて床下や周囲を確認したが、子猫は見当たらなかった。 その時点ではさほど気にもとめず、真面目な営業活動に戻ることにして車を走らせた。 しばらくして、走っている車の中からまた子猫の声が数回したのでとびきり驚いた。 ああ、いつの間にか乗っちまったんだな。 そう考えて、近くのコンビニに止めた。コンビニの駐車場で、意を決して後部座席と荷室を調べてみようとドアを開けたが、その数分後、コンビニの壁際を猫が素早く走り去って行くのに気づいた。 うわ、今度はいつの間にかおりてるよ。 ちょっとびっくりしたが、同時にものすごくほっとしたのを覚えている。コンビニでコーヒーや甘いものを買い、足りなかった休憩を再びむさぼると、ぼくはまた真面目な営業活動に戻ることにした。終わってみれば、ちょっとしたエピソードだったな。ねこを奇絶峡からファミマまで運んでしまったと。 走りだした車で、再び、子猫がはっきり三回鳴いたとき、ぼくは心底慌てふためいた。なにしろ、今でも覚えているがその声は、本当にクリアに、すぐ後ろで、はっきり鳴いてていた。 ぼくはまた車を広いところに停めて、今度は本当に決意して車の中のものを文字通りすべて外に出した。 たくさんの電動工具や資材の箱、書類のケースなんかをすべて外に並べ、さながら展示即売会でも始めそうな勢いだった。 だけど、猫なんていない。ほんとに、考えられるところは全て開けてみた。ジャッキが入ってるとこや車検証入れや物入れや、とにかく中には何もいないと確信できるまで徹底的に探した。当然ねこはいないし、生き物の気配もない。いた形跡もなければ、ねこのミイラもそこにはいなかった。 本当に釈然としない気持ちになった。怖いというよりは、釈然としないのだ。直感的に、あんな空耳ははっきり聞こえないと思うし、それが子猫の声というのもおかしい。なにより、実家でねこを買っていたぼくの感触では、あれは本当の子猫の声だ。 それまでの人生で、聞こえるはずのないものが聞こえる経験なんてなかった。なぜ、いま、子猫の声なんだろう? まあ、とにかく車の中に本当のねこがいないことだけははっきりしたので、考えても仕方ないし、再び車を走らせた。もう、仕事を切り上げて帰るつもりで田辺の国道を走っていると、また。子猫がはっきり鳴いている。 ぼくはトヨタのディーラーに駆け込んだ。 すみません、なんだかねこが車の何処かに紛れ込んだようで、声がするんです。ちょっと調べてもらえないでしょうか? そうとうに不思議な問い合わせだったと思うが、ディーラーマンは非常に感じよく真面目に取り合ってくれて、すぐにリフトアップして下回りをすべて点検してくれた。エンジンフードも見てもらった。結果、猫なんて見つからなかった。ぼくは車の中は全て点検したことを告げ、ほかになにか可能性があるか聞いてみたが、無いと思うという回答だった。 半ばあきらめに近いような気持ちで、ディーラーをあとにして、その先の入り口から高速に乗った。 しばらく高速を走っていると、走行音が大きくなっているにもかかわらず、やはり何度か子猫が鳴いた。 ぼくは、アクセルを踏み込み続けながら、ついに諦めたような境地に至った。その子猫を受け入れる気持ちになった。 よし、それなら、このまま一緒に帰ろう。西宮の俺の家まで一緒に行こう。君を受け入れよう。 なんだか不思議と気が楽になっていた。他のことを考える余裕も出てきた。 そして、それ以降、もう子猫が鳴くことは一切なかった。 今にいたるまで。 * * * * 家に帰り、実家に電話してみたが、特にうちのねこには変わったところはないという。そもそも、今実家にいるねこはぼくが山形を離れてから飼いだしたやつなんで、ぼくのことなんか覚えているかも怪しいもんだ。 その日の前後で、特に不思議な事件や変わった出来事は何もおこらなかった。 ぼくにも何の変化もなかった。 次の日からも、同じ車で同じように顧客を回っては昼寝をしたが、車で子猫が鳴くわけがなかった。 その会社はしばらく後にやめてしまったが、車から猫のミイラが発見されることもついぞなかった。 あれは何の予兆でもないし、何かの気づきでもない。ただ、純粋にぼくの人生に不思議な感じだけを与えてくれた。 数年たった今でも、ひどく自然に、はっきりと聞こえた子猫の声を覚えている。 ![]() うどんツアーで、今回は丸亀に宿泊。 いやがる嫁に頼み込んで中津万象園にきてみたが、想像以上にすばらしかった。 庭園はとてもすばらしいもので、小さな美術館にもとてもよい絵があった。 一度は訪れる価値があります。 池の鴨をみて嫁のヒトコト。 ニヒルの不思議な旅みたいやな。 ニルスやろ、、
すべてが美しく復興しても、
世界の何処かには常に同じように飢え、同じように凍える人が居続ける。 そしてそれには終わりがなかったりする。 だけど僕は、そのひとにお金を送るよりは目の前の macbook air に十何万も払う。 偶然日本に生まれたから、善意の加害者として何不自由なく生活している。 あるとき、自分の富はどこかの人の貧困と引き換えのものであることに気づいたが、 それには目をつぶり、 革命家になるわけでもなく、そのままのうのうと暮らしている。 ただそれだけで、明日からも何もしない。 かなり観光客向けな印象のニューグレンジを後にして、ヒッチハイクさせてくれた医師の「この時期北アイルランドに行くことはお勧めできない」という言葉を信じて、ぼくは北に向かうのをやめて一度ダブリンに戻ることにした。
駅で、なぜこんな小さな駅で切符を買うのにこれだけ並ばされるのか疑問に思いながらダブリン行きの列車に乗る。窓から寒々しい海を眺めながら、今日の宿のことを考えていた。 ダブリンに着くとぼくは、やはり真っ先にツーリストオフィスを頼っていったと思う。なにしろ、初めて海外を旅行したぼくにとって、受付の人や店員がまったく笑顔を見せない、ということが恐ろしくショックな出来事だった。打ちひしがれていたぼくが始めて目にした「つくり笑顔」が、ダブリンのツーリストオフィスのおばちゃんだった。それ以降の一ヶ月、ツーリストオフィスの"i"のサインは各地でぼくの心のよりどころだった。 話を戻すと、そのときぼくは安易に考えていた。またキンレイハウスに泊まればいいやと。 だけどキンレイハウスはいっぱいで、「ほかにいい宿は無いがここなら、、、」みたいな感じで紹介されたホステルにぼくは不安を抱えながら向かうと、あきらかにキンレイハウスとは違う雰囲気のホステルにたどり着いた。 お世辞にもきれいといえないドミトリで荷物を降ろしていたら、あきらかにやばい、だけど浮かれた感じの5、6人がどやどやあとから入ってきて部屋が騒然となった。当然のように酔っ払っているそいつらは、スコットランドから来たフーリガンだった。身の危険を感じたが、リーダー格のハンサムがやさしげにぼくに話しかけてくる。 「おれらはスコットランドから遊びに来て、アイルランドではしこたま飲むのが楽しみなんだ。この背の高いのはクレイジーマンで本当にクレイジーなんだ。それからこいつは(、、、中略)なんだ。俺らはこれから目当てのパブで思いっきり呑みに行くけどきみももどうだい?」 会話の間、ぼろぼろのシャツを着たクレイジーマンは「おいチャイナマン俺らとのみに行こうぜ」と歌うように繰り返してふらふらしていた。それ以外の数人も暴力的ではないが、がやがやへらへらしていた。 ぼくはこのリーダー格の男の話に不思議な魅力を感じていた。とても優しそうな頼れそうな目と声質だった。今のぼくならきっと飲みに言っただろう。だけどあの日のぼくはその誘いを断った。彼らは別に気にも留めずに陽気に飲みに繰り出していった。 ドミトリは一転静まりかえり、ぼくとドイツ人のバックパッカーだけになった。かれは小太りにめがねで賢そうなタイプで、やたら話好きでおしゃべりなやつだった。 「おいおい今の連中はやばいな、きいたか、君も財布やなんかには注意したほうがいいぜ、ところでぼくはドイツから来てアイルランドを北から回ってるんだが、ドニゴールの近くのキルカーという町の海岸は本当にすばらしくて、ぼくはそこで、、、」ってな感じのマシンガントークがなかなかとまらない。ぼくが英語がうまくしゃべれないのもあって、ひたすら彼の話を聞いていた。 次の朝、ベッドにはしっかりくたくたになったフーリガンの連中が爆睡していて、ぼくの持ち物は何ひとつ失われずぼくの手元にあり、ぼくはドイツ人青年と静かに別れを交わして、この奇妙に印象深い宿を後にした。 昨晩のベッドでいろいろ考えて、ぼくは再び汽車に乗ることにした。 旅行ガイドブックの謳う、キラーニーを目指して。 幼いころからコンピューターが家にあった。
小学校1,2年のころ、 JR100という名前のナショナルのパソコンで(いや、時代的にはマイコンか?)、 いわいるBASICという言語で遊んでいた。ほどなくしてJR200という後継機に変わった。 というのも父がナショナル系の会社で働いていたからだ。 本体はキーボードと一体で、テレビにつなぎ、記録媒体はカセットテープだった。 電源を入れれば、今で言うMS-DOSみたいな感じの画面になり、 そこにBASICという言語のプログラムを打ち込んで走らせる、きわめてシンプルなものだ。 当時ベーマガ(BASICマガジン)という雑誌があり、そこに読者が投稿したプログラムが載っていて、 それを打ち込んでいけばゲームなどが楽しめた。 自分でも簡単なプログラムを作って遊んでいた。何度もSYNTAX ERORRを食らってそれなりにデバッグしてた。 その後数年したら、今度はMSXが家に来た。これはご存知の方もいるかもしれない。 当時のBASICパソコンの統一規格で、さまざまなメーカーから製品が出ていた。だけど、JR200に比べて何が違うといえば大して何も違わなかった。 お父さんが銀行員の近所の友達のとこにはあのマッキントッシュがあり、”マウス”やら”フロッピーディスク”やら”ゴミ箱”にはものすごい感動を覚えた。 MSXにはマウスどころかフロッピーディスクすらなかった。 だけど、BASICでのプログラムの幅は広がった。統一規格だけにいろんなゲームが手に入った。 自分でゲームを作る分にも”SPRITE”の出現がかなり大きな発展を与えてくれた。 とはいえ、やっぱり当時からPC-98やらFM-TOWNSやら、高価な本当のパソコンを遠く上に仰ぎ見ていた。 それに単純にゲームだけで言えば、ファミコンという圧倒的な存在が出現していたからね。 そんなこんなでMSXはフェードアウトしていき、ぼくが自分のパソコンを手に入れたのは大学に入って上京したとき、いわいる98を30万円ほどで購入した。ウインドウズやらインターネット以前の話で、このパソコンは主にワープロとゲーム機として活躍した。はっきり言っていまとなればこの98にはたいした思い入れは無い。 (つづく) ![]() 0.5から4番までワンセットにカラビナつきで、しめて38000円ほどでした。 アメリカ万歳! クラックやるのか、おれ??? 今度映画をやるらしいので、原作を読んでみた。数年前に結構話題になっていた。
ひさしぶりに本当に面白い本を読んだ。 どうぞ事前に何の情報も入れずに読んでみてください。 ぼくみたいな軽めの古典SFファンにはたまらない、懐かしいような内容で、 わかっていても最後には号泣してしまう。 ほんとうに巧みに構成されている。 学校の図書館で読んだ『ゴセシケ(?)』や、『夏への扉』『アルジャーノン~』を思い出す、 切なくて不思議ないい話でした。 読んでいない人はぜひ読んでみてください。 世の中の三連休に働いていたぼくにご褒美。
今日はパウダーを当てました。 出張のために早起きしていた嫁をかたわら、そそくさとスキーを積み込んで出発。 途中圧雪アイスバーンで、軽トラが思いっきり田んぼにダイブしてました。 うわ、やべえと思っていたぼくの目の前で今度はセダンが90度スピンして雪の壁に突っ込んでいました。 どちらもあきらかに地元の車です。この雪すごいなぁ。 9時すぎにゲレンデに到着。パウダーがしっかりリセットされてます。先行トレースは数本。 まだまだ食べ放題状態! ほとんど競合もいないまま、思う存分パウダーランを楽しみました。 最初半日で帰るつもりが、係りのおばちゃんに頼み込んで差額で一日券に変えてもらい、 結局リフトが止まる寸前まで止められませんでした。 麻薬的なランのあと、太ももが痙攣しかかっているのに体が勝手にリフトに向かってしまいます。 あまりにいい滑りだったので「俺は疾風か?」と真顔でつぶやきました。 リフトで吹雪にさらされている中で、ふと死に方について考えました。 雪崩に埋まって死ぬのはどんなものか? そのときぼくは満足して往生できるのか? じたばたと恐れと絶望の中で意識を失うのか? ま、分かりようがありません。いつ死んでもいいように日々を生きているつもりだけど、 いざとなったときの気持ちは誰もわからないでしょう。 家に帰り、心地よく一杯飲んでいると、友達から電話があり、 なんとなくいやな予感がしました。そのとおり寂しいニュースでした。 他人の死について語る言葉は無いのですが、昔の仲間が死ぬのはさびしいです。 * 今日はパウダーを当てました。 明日はそれに埋まっているかもしれません。 あるいは原因不明の激しい痛みがずっと続くかもしれません。 それが人生だから、楽しく生きよう。 1.ティックマークはやめよう!
オンサイトトライ中に真っ白いチョークの塊がホールドにしっかりついていて、 いやだなあと思いつつ、そこに手を伸ばすとかかりが良い。 くだらねえ。人工壁でやってくれ。 ひどいのになると、手の幅に二本の太い白線が引いてある。 あるいは一手一手すべてにマーキングしてある。 つくづく人工壁でやってくれ。 2.ムーブは自分で考えろ! とあるルートでぼくがボルダームーブで苦労していると、 頼んでもいないのに背後から 「そこはそのカチをサイドで持って足はそこで云々、、、」 大人ぶって素直にアドバイスどおりやると、うまく登れた、、、( ̄Д ̄;) 誰も聞いてねえよ! クライミングは(少なくともルートは)自分でムーブを考えるから楽しいんだ! 下手は下手なりに苦労するのが楽しいんだよ。 と、たまに毒を吐きつつ平川でコタツみかん。最高やね。
わたしは車の運転が非常に荒くて嫁や友達に嫌がられていますが、それでもひとつだけ、運転する上で周りの人より優れていると自負することがあります。
横断歩道で止まることです。えへん。 熊本で仕事中に信号のない横断歩道で自転車の女の子が渡ろうとしていましたが、両方の車線は車がずっと連なっていて渡れそうにありません。ぼくの前を走っていた路線バスも少女の前を通り過ぎます。 ぼくは車を止めました。だけど反対車線は一切スピードも落とさず過ぎる車ばかりで、渡りようがありません。少女は気まずそうな顔をしますが、ぼくはひたすら止まっていました。 数分でしょうか、ようやく一台の車が止まり、彼女は渡ることができました。ぼくも、反対車線の車も走り出しましたが、ずっと先にも後にも車列が続いていました。 いったい自分も同じ年頃の娘がいるような人も、平気で通り過ぎて行きます。 ぼくが車を止めると、逆にびっくりする歩行者までいます。 これじゃあまずいでしょう。 もちろんぼくも最初からそうしてたわけじゃないし、たまに止まりそこなうことも多々あります。 信号のない横断歩道で渡ろうとする人がいたら車を止めましょう。 昨日今日明日と3日間休みを取って一人参加しています。
正直毎日震えるほど感動して、同時に深く、静かにリラックスできる。 本当に来てよかったぁ。 ビールを飲みながら、瀬戸内海の島の細い路地を分け入って美術を探す。 夜は小豆島のホテルの露天風呂に使ってまたビール。 10年前、アイルランドを旅したときに、スケリッグマイケルズという世界遺産の沖合いの小島に行くべきかどうするか本当に悩んだ。渡し舟は日本円で5千円ぐらいで、当時年収200万円のフリーターの僕には、ちょっとした金額に思えた。だって毎日泊まり歩くホステル(安宿)が、一泊千円もしないんだから、金銭感覚も少しゆがんでいたかもしれない。 さんざん悩んだ挙句、チャーター船のおじさんに電話して島に渡してもらうことを決断した。 行き着いたスケリッグマイケルズは、いわゆる絶海の孤島、小さな岩の島に奇妙な鳥がたくさんすんでいて、卵を温めている。 その岩山の山頂に、石を積んだだけの修道院の廃墟があった。修道院というよりは、数人が入ったらいっぱいの小さなドームが数個あるだけの施設だが、その門をくぐった瞬間に空気が変わる。空気の流れが変わるような不思議な感覚をおぼえた。 ホステルに戻り、ベッドに入り、ぼくはたった数千円をケチってあの場所に行かなかったとしたら、ぼくはどれだけつまらない愚かしい生き方をしていることになっただろうか、と考えた。なけなしのバイト代から40万円貯金してやってきたアイルランドで、僕はあの空気に触れることが出来て本当に良かった。お金はちっとも惜しくなかった。 もちろん人間はすべてを望むことは出来ないし、これが5万円だったら結果は当然違っていたろうが、少なくとも可能な範囲でお金を使うことにためらいを感じてはいけない。 この芸術祭のために結構なお金を使ったが、それ以上のものを僕が得たことは間違いない。 結婚してもこんな贅沢をさせてもらっていることにとりあえず感謝しておこう。 http://www.pushergear.com/ いきさつはよくわかりませんが ホールドやクラッシュパッドで有名だった プッシャーが復活したようです。
有名企業が社内公用語を英語にしたというニュースが話題になったが、
否定的な反応も多いように思う。 単純に日本人同士が英語でやり取りする不効率、ばかばかしさ、 英語に力を入れて日本語力がおろそかになる、 英語ができるだけで能力のない人間が台頭する、 確かにその可能性もあるだろうが、 もはや英語はイギリスやアメリカの言葉というだけでなく、世界の共通語の地位を獲得してしまっている。とても便利な道具なのだ。 ぼくは何とか会話できるというレベルで、帰国子女や留学経験者のようには流暢にはしゃべれないし、あまり複雑な交渉などはできないが、 仕事上でも私生活でもとても役に立っている。 仕事で、たとえばドイツ人やデンマーク人、フィリピン人と同じ現場で働くときに当然英語でしかコミュニケーションが成り立たない。 旅先で、韓国でもベトナムでも、観光客を相手にする商売の人は英語を理解してくれたので大きな不安を感じることはない。 なんかのアフィリエイト広告みたいだが、ぼくは下記のサイトでかなり英語力を上げてもらいました。 http://www.eslpod.com/website/index_new.html radiohead no surprises 歌詞なんていろんな取りようがあるが、どう聞いても暗く美しい自殺賛美の歌なのだが、 自殺して静かな場所に行きたいと歌い上げるメインボーカルの裏で、 最後の最後に、バックコーラスが「ここから出してくれ、ここから出してくれ!」と叫ぶ。 空恐ろしい、心が冷たくなる曲だ。 特に何か言いたい事があるわけではないが、 自殺に限らず、理不尽な死を強いられる人が今もたくさんいつづける。 だから何ができるわけでもないんだが。
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