dust my broom

ブログパーツ
カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
外部リンク
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
画像一覧

<   2011年 02月 ( 3 )   > この月の画像一覧


アイルランド旅行記5か6

かなり観光客向けな印象のニューグレンジを後にして、ヒッチハイクさせてくれた医師の「この時期北アイルランドに行くことはお勧めできない」という言葉を信じて、ぼくは北に向かうのをやめて一度ダブリンに戻ることにした。
駅で、なぜこんな小さな駅で切符を買うのにこれだけ並ばされるのか疑問に思いながらダブリン行きの列車に乗る。窓から寒々しい海を眺めながら、今日の宿のことを考えていた。

ダブリンに着くとぼくは、やはり真っ先にツーリストオフィスを頼っていったと思う。なにしろ、初めて海外を旅行したぼくにとって、受付の人や店員がまったく笑顔を見せない、ということが恐ろしくショックな出来事だった。打ちひしがれていたぼくが始めて目にした「つくり笑顔」が、ダブリンのツーリストオフィスのおばちゃんだった。それ以降の一ヶ月、ツーリストオフィスの"i"のサインは各地でぼくの心のよりどころだった。

話を戻すと、そのときぼくは安易に考えていた。またキンレイハウスに泊まればいいやと。
だけどキンレイハウスはいっぱいで、「ほかにいい宿は無いがここなら、、、」みたいな感じで紹介されたホステルにぼくは不安を抱えながら向かうと、あきらかにキンレイハウスとは違う雰囲気のホステルにたどり着いた。

お世辞にもきれいといえないドミトリで荷物を降ろしていたら、あきらかにやばい、だけど浮かれた感じの5、6人がどやどやあとから入ってきて部屋が騒然となった。当然のように酔っ払っているそいつらは、スコットランドから来たフーリガンだった。身の危険を感じたが、リーダー格のハンサムがやさしげにぼくに話しかけてくる。
「おれらはスコットランドから遊びに来て、アイルランドではしこたま飲むのが楽しみなんだ。この背の高いのはクレイジーマンで本当にクレイジーなんだ。それからこいつは(、、、中略)なんだ。俺らはこれから目当てのパブで思いっきり呑みに行くけどきみももどうだい?」
会話の間、ぼろぼろのシャツを着たクレイジーマンは「おいチャイナマン俺らとのみに行こうぜ」と歌うように繰り返してふらふらしていた。それ以外の数人も暴力的ではないが、がやがやへらへらしていた。

ぼくはこのリーダー格の男の話に不思議な魅力を感じていた。とても優しそうな頼れそうな目と声質だった。今のぼくならきっと飲みに言っただろう。だけどあの日のぼくはその誘いを断った。彼らは別に気にも留めずに陽気に飲みに繰り出していった。

ドミトリは一転静まりかえり、ぼくとドイツ人のバックパッカーだけになった。かれは小太りにめがねで賢そうなタイプで、やたら話好きでおしゃべりなやつだった。

「おいおい今の連中はやばいな、きいたか、君も財布やなんかには注意したほうがいいぜ、ところでぼくはドイツから来てアイルランドを北から回ってるんだが、ドニゴールの近くのキルカーという町の海岸は本当にすばらしくて、ぼくはそこで、、、」ってな感じのマシンガントークがなかなかとまらない。ぼくが英語がうまくしゃべれないのもあって、ひたすら彼の話を聞いていた。

次の朝、ベッドにはしっかりくたくたになったフーリガンの連中が爆睡していて、ぼくの持ち物は何ひとつ失われずぼくの手元にあり、ぼくはドイツ人青年と静かに別れを交わして、この奇妙に印象深い宿を後にした。

昨晩のベッドでいろいろ考えて、ぼくは再び汽車に乗ることにした。
旅行ガイドブックの謳う、キラーニーを目指して。
[PR]

by a_roofbeam | 2011-02-23 22:54 |

boots

c0195543_2140615.jpg


この時間がたまりません。
[PR]

by a_roofbeam | 2011-02-22 21:41 |

コンピューターとわたし

幼いころからコンピューターが家にあった。
小学校1,2年のころ、
JR100という名前のナショナルのパソコンで(いや、時代的にはマイコンか?)、
いわいるBASICという言語で遊んでいた。ほどなくしてJR200という後継機に変わった。
というのも父がナショナル系の会社で働いていたからだ。

本体はキーボードと一体で、テレビにつなぎ、記録媒体はカセットテープだった。
電源を入れれば、今で言うMS-DOSみたいな感じの画面になり、
そこにBASICという言語のプログラムを打ち込んで走らせる、きわめてシンプルなものだ。
当時ベーマガ(BASICマガジン)という雑誌があり、そこに読者が投稿したプログラムが載っていて、
それを打ち込んでいけばゲームなどが楽しめた。
自分でも簡単なプログラムを作って遊んでいた。何度もSYNTAX ERORRを食らってそれなりにデバッグしてた。

その後数年したら、今度はMSXが家に来た。これはご存知の方もいるかもしれない。
当時のBASICパソコンの統一規格で、さまざまなメーカーから製品が出ていた。だけど、JR200に比べて何が違うといえば大して何も違わなかった。

お父さんが銀行員の近所の友達のとこにはあのマッキントッシュがあり、”マウス”やら”フロッピーディスク”やら”ゴミ箱”にはものすごい感動を覚えた。

MSXにはマウスどころかフロッピーディスクすらなかった。
だけど、BASICでのプログラムの幅は広がった。統一規格だけにいろんなゲームが手に入った。
自分でゲームを作る分にも”SPRITE”の出現がかなり大きな発展を与えてくれた。

とはいえ、やっぱり当時からPC-98やらFM-TOWNSやら、高価な本当のパソコンを遠く上に仰ぎ見ていた。
それに単純にゲームだけで言えば、ファミコンという圧倒的な存在が出現していたからね。

そんなこんなでMSXはフェードアウトしていき、ぼくが自分のパソコンを手に入れたのは大学に入って上京したとき、いわいる98を30万円ほどで購入した。ウインドウズやらインターネット以前の話で、このパソコンは主にワープロとゲーム機として活躍した。はっきり言っていまとなればこの98にはたいした思い入れは無い。

(つづく)
[PR]

by a_roofbeam | 2011-02-18 23:25 |