dust my broom

ブログパーツ
カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
外部リンク
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
画像一覧

<   2012年 06月 ( 2 )   > この月の画像一覧


不思議な日、多様な生物

木曜日、急遽休みをとって一人経ヶ岬に向かった。

ヨセミテが決まったものの、クラックの技術に不安を抱える焦りが出たのかもしれない。
カローラにクラッシュパッドを押しこみ、家を出て10分ほど、忘れ物に気づいてUターンした。

片側二車線のすいてる幹線道路を走っていると、道の真中に小さなものが落ちているのを見つけた。
ちょうど車線の真ん中なので気に留めず通過しようとして、

そいつが動いてることに気づいた。

亀だ。亀が自動車学校からバスの営業所に向かって四車線をゆっっっくり横断しようとしている。

車を止めて、やつを避難させることを考えた。だけど、やめた。

亀が本当にどこに行きたいのかもわからない。渡すも戻すも、なにが正しい選択なのか一切わからない。

忘れ物をピックアップして中国道を目指した。

気持ちのいい、梅雨の晴れ間をドライブした。きれいな海岸沿いを走り、客から「機械が壊れた」の電話もない。少し寂しげな漁村をぬけて経ヶ岬についた。

かつてあったはずの土産物屋が完全に取り壊されていて、アプローチに少し迷ってしまった。跡地のすぐ裏の林に入ると、綺麗な紫の花が一面に咲いていて、黒い蝶が紫の花から花に蜜を求めている。
結局そこはアプローチじゃなかったが、少し道を踏みはずすとこんな楽園めいた場所がある。

正しい道を思い出して、海岸へ降りた。色あせた雑多なプラスチックの残骸を見ながら、また山道に入る。
自信がないままに、釣り師の踏み跡に分け入り、海岸についた。

フナムシ天国だった。ざっと2万匹はいる。

こいつらの存在を完全に忘れていた。去年小赤壁で手ひどくやられていたのに。
そこからエリアまで、楽な道じゃない。
要は小さな入り江をいくつもへつって行くのだが、
トラバースするすべてのホールドやスタンスをフナムシが逃げ惑い、
目の前3センチの岩をフナムシが這いまわる。

結構やばいとこで1匹みごとに握りこんで悲鳴を上げた。

先走って両手に施したテーピングは滝のような汗で剥がれかけた。
エリアは近くに見えるのに、入江をひとつ越えると次が現れ、しかも難易度が増していく。

やっとたどり着いた、エリアの先は水没していた。

ボルダーマットを担いで海に入る勇気はもはやなかった。寂しく引き返した。
踏み跡から山道に戻り、だめもとでもう少し先に進んでみた。結局エリアの遥か先の海岸に降りたところであきらめて引き返した。

帰り道、1匹の黒い蝶が蜘蛛の巣にかかって弱々しくもがいていた。
あるじがいるなら自然の摂理に任せるが、蜘蛛はもういない、打ち捨てられた巣のようだった。
ていねいに糸を外してやると、蝶は何の力も借りなかったかのように自然に飛び去っていった。空と白い雲の先に。

まあ、ここに来た意味はあったと考えた。すくなくとも黒い蝶を一羽、解放した。

波の音だけ聞こえる薄暗い山道を戻り、車にたどり着いて虚しくクラッシュパッドを放り込んだ。
近くの灯台まで走り、トイレでTシャツを脱いで水洗いした。上は裸のまま、丹後の海岸を、ついさっききた道を戻っていった。急なカーブを曲がりきった先に、今度は激しくうごめく何かの上を通り過ぎた。蛇だった.

アスファルトを横切る蛇を見たのは生まれてはじめてだった。なにか、斜に構えて切羽詰まった動きをしていた。

ぼくはこの日、亀の上を通り過ぎ、
フナムシを握りこみ、
黒い蝶を開放して、
蛇をまた、通り過ぎた。

帰り道、伊根の舟屋クルーズ、という看板に引きこまれて、とても美しい入江の村を走り、船に乗った。

他に二組しかいないクルーズ船の、片方の夫婦がかもめ用のかっぱえびせんを買ってまきはじめる。
大勢のかもめと、1羽の鳶が、それは真剣な眼差しで僕らの船を取り囲んだ。交互に押し寄せるかもめの、やけに立体的につやつやした腹回りを眺めながら、マーラーのアダージェットを勝手に頭の中で演奏した。

ぼくはこの日、亀の上を通り過ぎ、
フナムシを握りこみ、
黒い蝶を開放して、
蛇をまた、通り過ぎた。
たくさんのかもめと1羽ののとんび、
ぼくは勝手にマーラーを演奏していた。

とてもいい、一日だった。
帰りがけ、自動車学校の前の道には亀の残骸は見当たらなかった。
とても平和に、渡りきったんだろう。
[PR]

by a_roofbeam | 2012-06-18 21:39 | クライミング

ぼくは努力ができない

ぼくは努力ができない。ぼくは努力が嫌いだ。

子供の頃はそこそこ頭がいい子だった。小学生の頃は新学期に教科書を貰うと、家に帰って数日で全教科読んでしまい、だいたい内容がわかってしまった。
その後の授業は大方わかってしまったことのリピートだったように思う。

中学校まではそんな感じでごまかしてこれた。教科によっては授業中に寝ていることや全くノートを取らないことも多かった。それでも田舎の中学ではトップクラスの成績だった。

高校は県下一の進学校だった。この頃から雲行きが怪しくなってきた。
何しろ頭のいいやつが選ばれて集まってくる学校だから、レベルが違う奴が多い。山大付属中学上がりの連中は異次元を感じさせるものがあった。

ぼくの高校には「山東の数学」という独自の副読本(問題集)があって、その中の数学の問題はとても通常の高校の教科書ではお目にかかれないレベルのものだった。
理数系から徐々にぼくはドロップアウトしていった。
いまでも数学はぼくには手の出せない領域で、仕事柄電気を扱うのに電気の概念がいまいち理解できない。

文化系はかろうじて得意を維持できた。ぼくは中間・期末テストでは300人いる学年では100番目ぐらいの成績で、だけど何故か範囲のない実力テストになると20番目ぐらいになることもあるという、典型的に努力不足の生徒になっていった。

どこの大学に行こうかと漠然と考えた時に、とにかく東京に行きたいのと文学部以外は入りたくなかった。教師は当然東北大を進めてきた。我が高校の最大の進学先だった。考えあぐねている時にふと書店で見た慶応大学の赤本に驚いた。英語の試験の比重がとても大きく、しかも辞書持ち込みの長文読解という暗記テストとは違う種類のものだったから。
英語が一番の得意教科のぼくは、何となくこれはいけると踏んだ。

翌日先生に私立専願で行くと告げると、とてもがっかりされた。いまはちがうだろうが田舎では私立大学は何か異端的というか、金を積んで入る大学というイメージが大きかった。
わが校でも私立専願クラスというのはなにかドロップアウトの集まりのような雰囲気で、

センター試験当日は「お前ら受けないんだから仲間を応援にいけ」ということで

「頑張れ山東生」

ののぼりを持って試験会場の入口に雪の中立たされていた。おいおい、同じ受験生だぜ。。。

憂さ晴らしに市内のボーリング場に一人ビリヤードをしに行ったら、何故か体育教師が懇親会を開いているのに出くわし、翌日担任に呼び出されてビンタを食らった。。。orz

そんなこんなで晴れて慶応に入ったが、こんどは授業よりもカルチャーショックにやられて半年くらい友達もいない、誰とも話せない引きこもりの生活だった。びっくりするくらいインドア大学生だった。
輪をかけて学校の授業も理解もできず、面白いとも感じられなかった。

たまに何学科かと聞かれて、哲学科と答えるとびっくりされる。実態は哲学科美学美術史学専攻というやつで、哲学が専攻ではなかった。
だけど、まあ一応なにかしら哲学を学んでみようと図書館で純粋理性批判を読んだが、

冗談抜きでモノの一行も理解できない。

気を取り直して存在と時間を読んだが、

今度は一文字足りとも理解できない。

未だに哲学とは何かすら理解できず、なぜあんな学問があるのかも理解できない。

あまりに情けない話だが、一般教養の中で社会学系の単位をひとつ取れば卒業できるという状況になり、
「地学」という授業の単位が取れそうなので安心していた。そしたら友人に一言、

地学は自然科学系だろう

と言われた。そして放校になりかかった。そこから先はほんとうに情けない、情けない話だが、捨てていた社会学系の授業の教授に父親が直接電話して泣き落として、一回も出たことのない授業を無理やり単位をもらって卒業できた。みんなと一緒の卒業式には出れなかった。

その後数年間は警備員のバイトをして食いつないだ。多少の紆余曲折があって今の仕事にありつき、
何となく暮らしている。

仕事量には波があって、ひと月ほど前から急激にまた暇になってきた。仕事があるときでも昼に現場が終わって家に直帰するようなことも多い。だいたい7時には帰宅しているし、平日も楽に休みが取れる。

たまに思う。6時に会社が終わったら学校に行ってシーケンス制御なり中国語やドイツ語なり勉強して、仕事の幅を広げれば収入も上がっていくんじゃないだろうか、と。あるいは端的に何か副業でもやればいいんじゃないかと。それかいっそ毎日のようにジムに通い、クライマーとして一花咲かせるオプションもあるのでは、、、

だけどこれらは、ぼくがけして取ることのない選択肢だ。

ぼくは努力が嫌いだ。端的に努力が嫌いだ。

前の会社の社内報に「座右の銘は人生適当」と書いて上司に呼び出しを食らった。
最近のお気に入りの言葉は「明日できることは今日やらない」だ。

この態度を肯定も否定もしない。ぼくの行き方だ。
[PR]

by a_roofbeam | 2012-06-05 00:43 |