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ヨセミテツアー 2013 ノーズその3 宝瓶宮

三日目の朝、ポータレッジ二泊目は前夜が嘘のようにぐっすり眠れた。そして眠りすぎた。

早朝から行動してない時点で敗退は決定してたようなものだった。

だけどぼくは、どうせ敗退するにせよ、いけるとこまで(ブーツフレークの上辺りまで)いって敗退してもいいんじゃないか、水も食料も足りないわけじゃないんだし、と考えていた。

だが相棒は今日中に降りることを決めてしまっていたようだ。経験も実力もヤツのほうが数段うえなので、ぼくはリーダーに従うことにした。

ぼくらはポータレッジを片付けると、登りに必要のないすべての道具をデポして、軽くなり、ドルトタワーまで最後の記念登攀(?)をはじめた。

ぼくは途中の5.8の短いチムニーのピッチをなんとかオンサイトしたが、そこから見上げたフィストが永遠に続いていくようなセクションは吸い込まれるように美しかった。

だけど実際そこをフォローしてみると、ぼくの苦痛とするキャメ4サイズが信じられない位長く続く。

フォローなのに、空荷なのに、ぼくはトライする気が起きなかった。

ブーツの上まで行きたい、なんていう朝の気持ちはどこへ消えたのか、

ぼくはただ回収したキャメ4をつかんでは登りつかんでは登り、ただただこの美味しいはずのクラックから逃れたいだけだった。

ドルトについた。

相棒が言う。

このセクションをリードで行って人工で抜けれる自信があるか?
カムの掛け替えって簡単に言うけど、キャメ4が2個しか無いのにここを掛け替えで登れば、その間10メーター以上ノープロやぞ。下でもしそのサイズを使ってたら、そこまでロワーダウンして登り返しや。

まあ、平たくいえばぼくの実力はこのレジェンドなルートをトライするには達してないということだ。だけど、まあ、それはそれでいい。

楽しく記念撮影して、ここまで来ても近くとは思えないエルキャプタワーやブーツフレークを仰ぎ見て、敗退を開始した。

すると、下の方からトランシーバーで拡声された韓国語の会話が響いてくる。

どうやら韓国人の5人(!)パーティーがすごい勢いでストーブレッグに辿り着こうとしていた。

みてると、一人のリーダーが常にリードし、後の4人はひたすら荷揚げにてっして、ホールバッグ2個とポータレッジをすごい勢いで上げている。

まあ、昨日までの僕らの考察なんてなんの意味もないと笑い飛ばされるようだ。ノーズに登るのにスタイルどうこうなんて自分で決めれば良い。どんなスタイルでも登る奴は登るし、敗退する奴は敗退する。

さばさばと僕らはデポした地点まで降りてラペルの準備にとりかかった。

だけど、膨大な荷物を抱えての敗退もやはり一筋縄ではいかない。

幸先の悪いことに、ぼくは自分のマットがなくなってしまっていることに気づいた。そして作業中に、ちょっと荷物の上に足を載せた瞬間ブチッという嫌な音がして、ぼくの(食べもしなかった)行動食の袋が気持ちのよい垂線をえがいて数百メートル下に落ちていく。

大声で下に向かい叫び続けているのがとても恥ずかしかった。

で、昨日までぼくらを苦しめていた最大の重量物、水を捨てる。

壁の途中の敗退なので、後続のパーティーのために水をデポしておくことはできない。ただ、捨てるしか無い。

ほぼカオス状態になっているホールバッグの中から、ひとつひとつ3リッター入りのペットボトルを取り出して、空中にぶちまけるだけのことが、どれほど虚しく長く感じられるか。

水は壁をわたる強い風でキラキラと輝く結晶のように散っていく。

グチャグチャのホールバッグには掘り出しても掘り出してもまた新しい水瓶が出てくるように思えた。

ようやくすべての水を捨て終わって、それでもぼくらとともに下る重量はげっそりするようなものだった。

ホールバッグは相棒に任せ、ぼくはギアラックにありったけのギアを付けて先陣で下っていった。

ノーズは敗退用のラペルポイントはしっかり整備されていて迷うような要素はない。だけど、重たいギアを身につけて、ラペルステーションでセルフにぶら下がっていることがこれほど辛いとは思わなかった。

実際この時、ぼくも相棒もハーネスにぶら下がりすぎて足の神経を痛めてしまったらしい。

ふたりとも、この日から一ヶ月以上足の皮膚感覚が軽く麻痺してしまった。

歯医者の麻酔が切れかけみたいな感覚が、日本に帰ってもしばらく消えなかったし、二ヶ月以上たって今に至ってもまだ、右足の付け根だけはごくごく軽い麻痺が残っている(;´Д`)

相棒はラペルを極端に嫌がる。
たしかにそれはわかる。クライミングで一番死に近いのは懸垂下降をしている時だ。

二回目のラペル中、ひどい強風が吹き始めた。次のラペルステーションは左に少しそれたところにあり、軽くテンショントラバースを入れなければいけない。

だけど、強風は逆にぼくを右に右に運んでしまう。どうがんばっても左に進めず、パニックになりそうになった。
自分を落ち着けてなんとか足に巻くクラシックな仮固定をし、震える手でひっちゃかめっちゃかなギアからスリングを取り出してプルージックを決め、長いこと、長いこと風が止むのを待った。

風がやんだ。ぼくは無心で壁を左に走り抜けた。あと少しでチェーンがつかめるってとこで、はるか上で韓国パーティーのホールバッグにロープが引っかかってひるんでしまった。

結果、あっという間に逆に走らされるハメになる (;O;)

韓国人の荷揚げと風が止むのを待ちながら、巨大な壁のブランクセクションにただ不安げにぶら下がっていた。
たどり着けなかったキングスイングの代償行為みたいだな。なんとか二回目のトライでチェーンをつかむことに成功した。

敗退のラペルは虚しいぐらいに永く、まどろっこしく感じられて、これだけはもう二度とやりたくないね感満載だった。

地面に降りたあたりの感想はもうここに記述するようなものでもないだろう。

激しい苦悩や後悔や叱責や反省や闘志やらが沸き起こるでもなく、

ただ、あーあ、って感じで、ギアを放り出して体を休めた。
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by a_roofbeam | 2013-11-28 22:46 | クライミング

あいちトリエンナーレ

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志賀理江子


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これはかなりスマッシュヒットだった。ビルの屋上が全てグリッド空間になっていた。

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正直、まちなかの企画のレベルは低かった。

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岡崎って初めて行ったけどファンキーな街。

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ロッキンジェリービーン風のベトナム料理屋(*´∀`)

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個人的にはこの作家がMVP

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ロウで出来た小さな家に入るこのインスタレーションには度肝を抜かれた。
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by a_roofbeam | 2013-11-22 00:29 |

母親が教えてくれた2つの重要なこと

その1
『君死にたまふことなかれ』

母親はぼくが寝付くときに、子守唄代わりにいろいろな詩を朗読してくれた。(もちろん子守唄も歌ってくれたが)

啄木とか光太郎とか、そういった有名ドコロの詩の中でも一番ぼくの心に染み付いたのが、

与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』だった。

子供心にとってもラディカルでファンキーで、かつしんみりする。

旅順の城が落ちるかどうかなんてどうでもいい、

という姿勢は40近くになってもまだぼくの奥底に染み付いた基本理念である。

天皇が実際前線になんか行かねえだろ、という子どもじみた屁理屈もぼくにはとても素直に受け入れられた。

あなたが生きていればいい。

ぼくはサヨクでもウヨクでもないが、いつでもぼくの心には枕もとでこの詩を朗読してくれる母親の声と姿がある。

あなたが生きていればいい。


その2
スパゲッティーは啜って食べるな。

母親は外国に行ったことはない。パスポートを作ったこともない。(あたりまえか)

だけど、スパゲッティーやスープをすすって(音を立てて)食べることは小さな頃からうるさく注意された。

「パスタ」なんて言葉はなかった時代だが、

「スパゲッティーは啜らねでフォークさまいで食え」

「スープばズルズル飲むな。すっと口の中さ流し込め」


とうるさく言われた。ぼくが理解できないでいると、太宰の『斜陽』を持ってきて冒頭の部分をぼくに読ませ、こう飲め、と言われた。

そのせいで未だにぼくは肉を切ってからフォークは右手に持ち替えるし、寿司を食べるときは箸はけして使わない。

まあ、一番印象に残ってるのは庭で「おしっこ」する「お母さま」だが、、

日本ではスパゲティーやスープををズルズル啜って食べる人が多いし、箸で食べるパスタを売りにしてる店もあるくらいだ。

だけど、海外ではとても受け入れられる行為でないことを知っていたほうがいいと思う。

LOVE AND PEACE (#゚Д゚)
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by a_roofbeam | 2013-11-14 21:58 |